粟原寺跡(桜井市 粟原)国史跡


大和さくらい100選 「記紀万葉ゆかりの地」

 粟原寺は桜井市の東部、竜門山塊の北麓に位置し集落の南側にある天満宮の裏手のやや高い場所にあります。塔跡などの礎石が残っていますが発掘調査は行われておらず伽藍配置など詳細は不明です。 

 今は、礎石だけが残る廃寺ですが、江戸中期、談山妙楽寺(現在の談山神社)の宝庫から発見された粟原寺、三重塔の露盤の伏鉢(相輪の一部)に刻まれている銘文に中臣朝臣大嶋(なかとみのあそんおおしま)が天武天皇と持統天皇の息子・草壁皇子をしのび創立を誓願したが果たさず没し、比売朝臣額田(ひめのあそんぬかた)が二十二年を要しこの地に伽藍を建て丈六釈迦仏像を安置し三重塔を建立し、草壁皇子、発願者の大嶋などの冥福を祈ったと印刻されています。比売朝臣額田は、かって天武の妻であった万葉歌人・額田王であり、大嶋は額田王の晩年の夫ではなかったのではないかという説もあります。


建立年代、造営過程など寺の由緒がわかる貴重な文化財で明治35年(1902年)国宝に指定され、寺跡も国史跡になっています。

 塔跡にある心礎(直径約61cm、深さ15cm)はすでに原位置を保っていませんが、周囲の四天柱・側柱の礎石は原位置を保っており、塔の一辺は約6mと思われます。この塔跡の東側にも礎石が並べられていますが、これらは現在十三重石塔の建っているあたりから移されたものです。また塔の西側の十三重石塔付近には道路で寸断されてますが、金堂跡と推定されるところがあり3、4個の礎石を残しています。大正15年(1926年)に内務省による実測調査のみ行われています。境内で出土する瓦は本薬師寺(698年にほぼ完成)に近いと云われています。